photo by NORIKO TIDBALL

 
 
 

_滝弥さんが詩人として、第一歩を踏み出したきっかけは何だったんですか?

 

詩を書いてみて、「自分では自分を天才だって思うけど、どうだろ?」って思って賞に出したんです。
その時の審査員が、宗左近さんという著名な詩人の方で。えらく気に入ってくださって、雑誌に載せてくれた。
それが、処女作「えりなのプロフィール」でした。

 

「えりなのプロフィール」

えりなは いいこです

えりなは おけしょうがきれいです

えりなは おうたがおじょうずです

えりなは りょうりがとくいです

えりなは いっぱいものしりです

えりなは ともだちがたくさんです

だから

えりなは ひとりぼっちです
 
 
(初出…1997年、文芸誌「小説新潮」1997年8月号)
(2000年、書籍「あなたにあいたくて生まれてきた詩/宗左近・編」収録)

 

_それから、役者も音楽も辞めて、詩人としての活動を?

 

そうですね。自分でいいって思ったものを、すでに詩人として活躍されている方も認めてくれた。
実はその時のギャラもよくて、「詩人、いい仕事だな~!」って。けど結局その後ぜんぜん儲からなくて(笑)、ビギナーズラックだった!!

 

_一歩ふみだす時、不安や恐怖は?

 

なかったですね。若かったし、なんとか生きていけるだろうって思ってたから。普通に考えたら「お前、お先真っ暗じゃん!」って、なると思うんだけど、自分では、「ぜんぜんいけるでしょ!」って信じてた。
 
その後から、ちょっとずつツテをたよったり、声をかけてもらったりしながら、依頼があれば詩や文章を書いてましたね。

 

_旅に出たのもその頃?

 

そう。バックパッカーでインドに行ったんだけど、そこでパルディータっていうドイツ人女性と出逢って。その子にね、「俺、詩人なんだ!」って言ったら、「それなら、今から聞かせてよ」って。
 
日本だと、俳優やアナウンサーがかしこまって読むようなイメージだけど、欧米では、詩を読むっていうことが普通に文化としてあったんだね。
 
でもまあ、暇だったし、やってみるかと思って、日本語と英語とヒンズー語で読んでみたら、その辺のインド人とかも聞いてくれて、リアクションもよかった。
 
「詩を読むって、おもしろいな! 気持ちいいな~!」って知ったのはその時。

 

1998年 インド/コヴァラーム・ビーチにて。詩の朗読を奨めてくれた、ドイツ人女性/パルディータ・イルと

 

_それで、日本から帰ってポエトリーリーディングを始められたんですね。

 

帰国した頃はちょうど、ムーブメントに火が付き始めたところだった。1998年くらいからかな。
 
日本に住んでいる白人のコミニティーからだよね。東京ガイジンカルチャーの中で、「ポエトリーリーディングって、日本にはないよね」ってことで、“スポークンワイズナイト、言葉の夜”が始まって。集まる人もみんな白人だったんだけど、英語がわかる日本人もまじりだして。それが、ポエトリーリーディングのブームの始まり。
 
『American Book Jam』って雑誌が協力したり、クリエイター系のゲイとかドラッグクイーンが、白人コミニティの近くにいた。
 
現代詩から入るひともいれば、パティ・スミスとか、ジム・モリソンとか、音楽から入るひともいれば、ラップから入るひともいる。入り口はバラバラ。でも不思議と、ポエジーという概念があると、ズレないんだよね。
 
文学好きのおじいちゃん、タトゥーいれた若者、リストカットしてる女の子、高そうなスーツのひと、イトーヨーカドーのよれよれポロシャツ着てるひとも。普段の社会の中でそれぞれが属する、自ら担っている役柄とか、全く関係なく。
 
この客席、このシーン、おもしろいなって。

 

_ライフスタイルはぜんぜん違うのに、詩という概念をもとに集まって、つながれる場だったんですね。

 

バンドとか、クラブとかだと、分かれてるでしょ、お客さんのファッションとか、雰囲気が。詩だと、普段と関係なく、ひととひとが会えるっていう面白さを感じた。

 

_では、滝弥さんが、ステージの上で表現する詩人としてデビューしたのは、東京でのポエトリーリーディングですか?

 

一番最初に日本で出たのは、三重で開催された『詩のボクシング』。リングの上で朗読して、スラムみたいに勝ち上がって、東京で全国チャンピオンでまで決めていくっていう。それで東京のシーンとも繋がっていきました。三重の時の審査員が、谷川俊太郎さんでね。
 
それまでにも、詩はテキストでは書いてて、いろいろ有名な詩人の先生に会って、「がんばってね」とか激励してもらってたけど、俊太郎さんはね、”谷川俊太郎賞”をくれて。握手する時に、「がんばって」ではなく、「がんばりましょう」って言ってくれた。
 
大先輩が、業界の同じ立場として扱ってくれた。そこで、やっぱり自覚したよね。「がんばんなきゃ、俺!! 期待されてる!!っ」て。

 

_そこから、俊太郎さんとのご縁が?

 

何かしら交流はありました。俊太郎さんとぼくって、40歳年齢が違うんですよ。音楽家でジャズピアニストでもある息子の賢作さんは、おれより10歳くらい上で、賢作さんとの共演も多かった。兄貴みたいな感じでね。そこから、家族ぐるみのつきあいが始まった。

 

_お二人から、家族として、詩人のメンターとして、教わることも多かったのでしょうか。

 

そうですね、“教えてもらう”、という感じではなく、“一緒にいて感じる”、もしくは“盗む”、って感じかな。俊太郎さんは、教えるタイプではないんです。自由気まま、少年みたいなひと。
 
もちろん一緒にお客様の前でトークショーもたくさんやってるけど、二人で楽屋でいて、「あの本読んだ?」とか、「あの作品、こうだったよ!」とか話しをしてる時は、40歳の年齢差も関係なく、ただただ、言葉好きのぼんくら少年二人がしゃべってる感じ。
 
フランクで、本当に素直な方なので、リアクションは如実です。まったく気を使わずに判断してくれる。おもしろきゃ喜ぶ、つまんなきゃ他のことを始めちゃう。子供みたい。だからこそ、気を遣わず楽でいられる。

 

2016年 主催イベント「俊読」最新回。谷川俊太郎氏をはじめ、日本を代表する詩人たちと

 

_素敵な関係ですよね。そんな日本でのイベントだけではなく、モンゴルでの文化交流や、ドイツでの多次元フェスティバルなど、海外でも活躍していらっしゃいます。日本だけでなく、海外でも発信していきたいという想いはあるのですか?

 

その辺は、あんまり分けて考えてなくて。日本語ではあるけど、世界中全部、ぼくの読者だと思ってるので。
誰とだって、どこで会えるかわかんない。でも詩をやってれば、世界中どこにでも行ける、そんな気持ちがあります。

 

_音楽と同じように、共通の言語としてつながれるというような?

 

う~ん、現象的には似てるかもしれないけど、自分にとって音楽と詩は、違うところもある。
音楽は、みんなをひとつにする。みんなで歌ったり、一体感を感じるような良さがある。「がんばろう、イェーイ!」みたいなことは、音楽だとやりやすいけど、詩でやると、ヒトラーみたくなっちゃう。
 
詩は、音楽的要素も取り入れるし、途中まではみんな一緒だけど、ある地点からは、みんなをばらばらにするためにやってる。ばらばらにして、「ばらばらでいいんだ」、ってことを言いたいのかなって。
 
詩では、個人的な理由を、切実、満足、悲哀みたいなものを、歌っていたい。そうしないと、バランスがおかしくなる。大勢の人の前でやってるけど、届けたいのはいつも一人。その人の、いちばん根っこの部分に話しかけたい。
 
いつも知ってる人であっても、そのもっと内側の、例えば子供の時の、「おたふくかぜひいた、だるい~~~」みたいな感じで、話しかけたいと思ってる。

 

_確かに、わたし自身もそうでしたが、滝弥さんのステージでは、それぞれの人の反応が様々だったのが面白かったです。

 

そう。こっちで大爆笑してるのに、こっちで大号泣してるみたいな。リアクションが全然違うから、「そんな風に受け止めるんだ!」って、新鮮な気持ちになる。そこで初めて、自分の詩は完成する。
 
言葉はいつも多義的で、ひとつのことを言っても、ひとつの意味で受け取らない。ただ「ありがとう」って言ったって、「裏がある」って思うかもしれないし、100%純粋に「ありがとう」って想いが届かないかもしれない。詩は、そこをおもしろがるジャンル。「だったら、どうとってもいいように書いちゃおう!」って。
 
「ありがとう」って100人が聞いたら、100人の「ありがとう」がそこで浮かぶ。その「ありがとう」と「ありがとう」の_ズレみたいなとこが、ふだん意味を伝えるってとこの言葉を超えて、もっと違うものと繋がるための、祈りとしての言葉、っていうことになるのかなって。
 
なんかそういう、言葉にできない感覚とかをとらえて表現すると、別にふだんの生活に役には立たないけど、「あ、その感じ、知っといてよかった」って。そういうの、料理とかでもあるよね? 「あ、こういうの入れるとこんな味になるんだ!」って。それを、言葉っていう材料でやってるんだと思う。

 

2005年、ウエノポエトリカンジャム3にて

 

_そういう意味では、どこの国にいても、同じなのかもしれないですね。

 

そうですね。カナダとか、東京とかモンゴルとか、あんまり関係ない。今回もバンクーバーでやるけど、ただただ、「なんか不思議な縁があったんだね~」って思うんだよね。
 
どこ行ったって、まず挨拶から入るし、ステージに立って、人の顔を見て、出会ってみて、「あ、カナディアンって、バンクーバーの人って、こういう息遣いなんだ。じゃ、こういう感じでいきましょうかね」って。

 

_まずその場の人の空気を感じてみて、そこから、何が出てくるかお楽しみ、という感じ?

 

とにかく詩は一人じゃ作れないので。お客さんが見てくれて、初めて成立する。一生懸命やることはやるけど、どんな人が来てどんな空気になるかによって、何が生まれるかは、わからない。焦って考えても、しょうがない。

 

_料理を作るけど、何が材料か知らされてない、みたいな?

 

うん、そんな感じですかね。でも、インタビューでも、ステージでも、お互い想像して「こういう感じかな」っていうのをただやったときって、逆に敗北感を感じる。「プラスアルファがなかった」って。せっかくだから「今日ならでは!」のことを見つけたいと思って、ステージに立ってる。
 
だから明日のパフォーマンス(バンクーバーでの)も、正真正銘のアドリブ。ノンスクリプトでステージに出てって、「何がでてくるか、ぜんぜん知らない!」って。

 

アートギャラリー『Visual Space』でのイベント。英語でのパフォーマンスも大盛り上がり!

 

_今回のパフォーマンス(2016年10月)は、北米では初めての公演ですよね。バンクーバーの印象はいかがですか?

 

まだこっちに来て三日目だけど、バンクーバーの印象はいいですね。とても人間らしい。

 

_その土地土地で感じることが、パフォーマンスに繋がるのでしょうか?

 

テンポとかトーンって、街によって全部違うんですよ。日本国内でも、東京や大阪は早口、東北はゆっくり、とか。同じようにしゃべってても、ズレてく。東京だとこの間でドカンと笑えるけど、東北だと早すぎる。とか。
 
だからなるべく、街を一人歩いて、汚い、昔っからやってるような店に入って、なるべく、怖そうで人情家みたいな人に話しかける。そうすると、ネットとかにのってないリアルな情報がわかる。

 

_ちなみにバンクーバーでも同じように?

 

けっこうしゃべる方なんで、レジのおばちゃんと仲良くなったりはしてますね(笑)。
バンクーバーって、そんなにみんなイライラしないで、わりとちゃんとぼーっとする時間を持ってる。気取りすぎず、気さくで、そこがすごくいいなって。いい人おおいなって。
 
若干、もうちょっとツッコミ精神とかあった方がいいんじゃないかって思ったりもするけど。ゆるすぎるっていうか。まあ暮らしてみないとわからないけど、今のところ感じる分には。

 

_滝弥さんは海外でもパフォーマンスされてますが、英語でコミニケーションされますよね? 英語を使ってコミニケーションする際に、言葉を超えたところで繋がるっていう感覚なのでしょうか。

 

もちろん英語とか、母語じゃないってなると、なるべく間違えちゃいけないって思うし、単語もすぐでてこない。日本語で喋ってる時と違う自分になっちゃうんで、意味よりもふだんのトーンを無くさないようにしたいと思ってる。
 
感情というか、感性、表情を、そのままの感じで伝えたい。急いでる時とか、怒ってる時って、日本語でも伝わるよね。そっちの方が大事なんだよ。スペルとか、発音じゃなくて。トーンの方がね。「ちょっと待て!!!」って言うと、だいたい待ってくれるもんね。

 

《前回のインタビューを読む》

次回は桑原滝弥さんの「挑戦と海外」に迫ります!

 
 
 

Profile 桑原滝弥 くわはらたきや

詩人。1971年、三重生まれ。
演劇・音楽・パフォーマンス活動を経て、1994年、詩作を開始。 処女作『えりなのプロフィール』は、新潮文庫『あなたにあいたくて生まれてきた詩 / 宗左近・選』に収録。 以降、「あらゆる時空を” 詩 “つづける」をモットーに、紙誌、舞台、映像等、様々な媒体で作品を発表。詩人・谷川俊太郎との競演イベント『俊読』(全国開催)や、言の葉Tシャツの製作などの企画も多数手掛ける。海外での活動や、妻の講談師・神田京子との詩芸ライヴ、他ジャンルとのコラボレーションも積極的に展開。東日本大震災被災地の歌『たしかなる風 ~ふるさと久之浜~』を作詞(作曲・谷川賢作)。著書に詩集『花火焼』(にこにこ出版)、写真詩集『メオトパンドラ』(写真家・キッチンミノル共著/FOIL)ほか。
 

「桑原滝弥・情報ブログ」
http://shijinrui.blogspot.jp/

About The Author

Star☆tS 編集長 - 言葉の魔術師

兵庫県明石市生まれ。言葉のお仕事師。夢見がちなこども時代、激音と妄想まみれな思春期、販売・事務職など迷走OL時代を経て、大失恋をきっかけに晴れてコピーライターに。2007年、サンタモニカへ移住。2010年、バンクーバーへ移住。ブランディング、コピーライティング、インタビュー記事執筆などの他、絵本、小説、エッセイなど、アーティストとコラボした作品も創作中。最近ぐっときた言葉は「愛は光の速度の二乗」。 カナダ留学エージェンシー カウンセラー

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